2007年9月22日土曜日

でも

自分は仕事でも個人的な趣味にしても、明快な"意欲"であるとか間違いのない"確信"があって動けるタイプではない。

周りの環境やその時々の状況と、その時点での自分の能力や考えに折り合わせをつけながら、行動なり発言なりを進めていくことがほとんどだ。

その行動パターンには、意外とメリットもあればやはりデメリットもあるのだけれど、その時の自分の心的状況を今までうまくコトバにすることができなくて、「うむー」と思うことがたまにあった。で、ごく最近なのだけれど、それをコトバとするならこんな塩梅なのかな、という例えが1つ頭に浮かび上がってきた。

「でもやるんだよ」と「でもそんなの関係ねえ」の中点。

「でもやるんだよ」というのは、『因果鉄道の旅―根本敬の人間紀行 (ワニの本)』所収の「しおさいの里」で一般的に広まったとされるフレーズで、「でもそんなの関係ねえ」は、最近テレビで露出が増えてきている小島義雄のネタの中でやけっぱちに、それでいてチャーミングに繰り返されるキラー・フレーズだ。

よくよく考えてみると、結構この二つのコトバに近い心的状況の中で、日常のあれこれを乗り切ってきている節が自分はあるなあ、と。ただ、どちらの心境であったとしても、「でもやるんだよ!!」であったり、「でもそんなの関係ねえ!!」と強く言い切ることはほとんどなくって、その両方の感情をふらふらといったりきたりしてる感じ、とでもいいましょうか。

実際のところ「でもそんなの関係ねえ」と言い切っている限りは、それに伴う成果や結果がどうであろうが、心的武装として負けることはないわけであって、ある意味つねに勝ち組ではある。でもそうはいっても、現実問題「関係ねえ」で全てが丸く収まることはないわけであって、だからこそ「でも、やるんだよ」に繋がっていく、と。

なので、肝はきっとおそらく「でも」なのだと思う。ある時はいいわけじみた意味合いの時もあるだろうし、またある時は「それでも」とやや強い意志を示す時もあるだろうし。

って、こんなことを(一応)全世界に向けて綴ってみて何か意味が果たしてあるのだろうか。

って、このあとに続くのは当然「でも書くんだよ」であるし、意味があろうがなかろうが「でもそんなの関係ねえ」なんだよね。

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